2011年10月10日月曜日

私が私に学ぶこと。あなたが私に教えてくれたこと。

こんばんはUraです。
BEBEという歌い手を本気でやっていく上で
私が志していることを書きたいと思います。


私は現代の、そしてこれからの精神医療やその周り、
当の本人の体制に不安があります。

私はそれらの問題に立ち向かって生きていきたいと思う。
ここに誓って。


ここに書かれている文は
私の勝手な意見なので、色々な感じ方があると思いますが、
一個人の考えとしてここに記します。

��8歳の冬、ある一時期私は精神科に通っていました。
私がそうなったきっかけは、
友人Nに精神の不具合が生じた事がきっかけでした。

家族ほど身近な人間が、
精神病になってしまった姿を見た時、
私は正直ショックでした。

だけどその反面、私はおぞましい考えを持っていました。

私もあんな風になったら、
誰かから心配してもらえるんではないかと

私もあんな風になれたら、
孤独だと叫んでも許されるんじゃないかと。

そして私は少しづつ病を装いました。
自分に自分は可哀想なのだと言い聞かせて。

友人にも自分はおかしいかもしれないと漏らすようになりました。
そんな言葉を口にするほど、友人は不安な顔をしました。
私のために泣いてくれる子もいました。

その事が私の何かを埋めていくと、
すぐまた足りなくなるのが分かりました。
私はどんどん大げさに病を装うようになりました。

当時通っていた専門学校で
授業中に泣いたり、突然教室から逃げ出したり、暴れたり
誰が見ても私は普通の状態ではなくなっていました。

沢山の子が心配して私の話を聞いてくれました。
小さい頃からの孤独感や、
両親の離婚、母の浮気、姉へのコンプレックス、恋愛、人間関係、将来。

私の話しはつきる事がなかった。
私は悲劇のヒロインで居続けました。

最初は自らの意思と、演技だったはずの病が、
いつの間にか自分でもコントロールができなくなりました。
そして私は休学をし、精神科に通うようになりました。

休学中に単位を落とし、仲間と一緒に卒業はできなくなりました。


こんな事がしたいわけじゃなかった。


一気に血の気が引いたのを覚えてます。
戻りたいと思いました。もとの私に。

しかしもう誰も私の味方ではなくなっていました。
私はみんなに必死で話しかけましたが、
誰もが避けているように見えました。

初めて経験した本当の孤独でした。


私は逃げるように学校を退学しました。

何もしないで病院だけ行く日々がしばらく続きました。
学校の事で傷心しきっていた私は
カウンセラーの前でも大げさに話しをしました。
私は可哀想だと。
結局どこにいても愛されなかったなんて。

先生は優しかった。
だけど私はそこに何も感じられなかった。

意味を感じた事と言えば、『精神科に通っている』という事でした。
私が今仕事も学校も行かない事の理由になったから。
学校をやめた事も、そんな現状も正当化できました。

病院から処方された薬を飲むとフラフラしました。
体がダルくてすぐに眠くなりました。

今日が何日で何曜日で今日なにを食べて何を話したのか全てがあやふやだった。

無の上で、死んでもいいかなと毎日思ってる時期でした。

そんなある日、病名は来週診断結果がでると伝えられました。

自分は何の病なのか考え、
ネットや本でも沢山調べました。
病気は無数に存在し、自分に当てはまるものはいくつもありました。

友人Nの診断された病気は、
完治の方法はまだないと言われていました。

もし私もその病気だったら、こんな薬を一生飲まなくちゃいけないのかと
この先の人生に嫌気がさしました。
自分の人生に、こんな自分に嫌気がさしました。

リビングにある薬箱に手をかけて、
大量の薬をゴミ箱に捨てた。

そして母に『もう病院はいかない』と言いました。

それから私は一度も病院には行きませんでした。
結局ちゃんと病名も聴かずに。

だけど私は逃げたわけじゃない。
そう思っています。

それから約1年後不安定な日々は続きながらも、
アルバイトをはじめました。
病院や薬に逃げたいと思った日もありました。

けれどその度、私は自分は病だったのではなく、
病と言う言葉に逃げ込んだだけなんだと噛み締めました。

外に出る事が増え、少しづつ生きている実感を取り戻しました。

そんな中、高校の友人にバンド(BEBE)のボーカルを誘われます。
当時19歳でした。
こんな自分をボーカルとして誘ってくれる事に、
身震いを覚える程嬉しかったです。

作詞作曲、練習、ライブ、やる事が沢山ありました。
何年かぶりに『楽しい』と思ったのです。

そして今も、私はこうして歌を歌っています。

この話しはたかだか私の一例ですが
とても大事な経験でした。

あの時に病名を聞いていたら、
今はないかもしれないと思う時があります。

きっと「病気」という状況に逃げていたからです。

今もあの頃のように薬を飲み、
無の中を彷徨い、多くの感覚(感情)を失っていたかもしれません。
そう考えるとすごく怖いです。

意識の上での病が、無意識になるのなんて本当に一瞬で、
誰もがこういった予備軍なんだと思います。


私が一番に思う事は、精神病の完治に答えは一つではないと言うこと。
そしてそれを周りや本人がよく認識するべきだと思います。

実例が増えすぎて病の種類だって増加しつづけてる中、
お医者さんに全てを任せても、絶対に治らないと思います。

薬やお医者さんは、一つの支えにすぎません。

それだけに依存していく世の中や家庭は、
根底の問題もっともっと深刻に考えるべきです。

精神医療制度も、
本人や家族へのカウンセリングや、指導がまだまだ足りないと思います。

精神病を完治させるには本当に様々な支えが必要です。

周りの人も、関係があります。
心の病は、本人だけの問題ではありません。


そして当事者は、
何かに救ってもらおうとするのはやめなくてはなりません。

結局お医者さんがいても、薬があっても、
家族や友人がいても
本人の足で立たなければ『治せる』わけではないです。


私の経験で言えることは、

克服への道は自分で自分と闘うことでした。

誰も責められない、何にも逃げれない。

誠実に真っ当に生きる事しか出来ないことが分かりました。


古くからある言葉は本当に的を獲てます。
『病は気から』

その通りだと思います。
『病は他から』ではなく、自分の気からです。

病の克服への道は、自覚と、それからの意志だと私は思います。

ただ、その闘いを支えてくれる周りが必要です。必ず。




現実は厳しい。きっとそれだけは世の人、全て平等に。




自分を救ってくれるヒーローはいません。

ただ自分を変えるほどのものはあると思う。
私にとってその一つが音楽でした。

音は、どこかの壁にあたって必ず返ってきてくれました。
頑張りを認めてくれるかのように。

私は歌を一生続けていたいと思います。




友人のNは、
入退院を何度か繰り返したのち、
リハビリを含め、うちの家族とバンドをはじめました。
日常生活を取り戻す為に非常勤からはじめた保育士の仕事を、
現在は週五日間働いています。

趣味でバンドをやりながら、
その仲間と肩を組みながら懸命に生きています。

この仲間達に傍観者は一人もいません。

私もそんな仲間と一緒に肩を組みながら、
これからも生きていきたいと思います。

私の周りには精神の病を抱えた友人や身内がいる。
もしかしたら私もその一人、あなたもその一人かもしれない。

最後に友人N、彼女が演奏会で私に言った言葉を
私自身に、そして皆さんに贈ります。



『諦めない。絶対に』

1 件のコメント:

かいら さんのコメント...

薬ですべての病気はなおせない。
自分の気持ちや、相手によってなおる病も存在する。
治すための薬は自分の体の中でつくるんだっておもった。