2011年12月31日土曜日

今年もありがとうございました!!

2011年は色々なことがありました。
今その全てに感謝をしています。
そして温かく応援してくださったみなさん、
ありがとうございました。


そして2012年、BEBEは今まで以上に活動の幅を広げていきたいと思っています。
これからも応援よろしくお願いします!!

明日1月1日に、新曲のPVも公開されます!
どうかお楽しみに!!


それではみなさん、良いお年を。

2011年12月28日水曜日

クリスマスプレゼント

クリスマスの日、8年分の想いが届くような
嬉しいことがありました。

それは偶然に引き起こったことでした。


生きていれば、良いことがあるのかもしれません。



少し前は分厚い雲をどんなに進んでも、
その先には何もないと思っていました。

傷つくのはとても怖いから、
”何も無いんだ”と、疑う心が必要でした。

けれど傷つくより怖かったのは、
固まってゆく心でした。

何かを疑うほど、
まっすぐ泣くことも、笑うこともできなかったのです。

それなら私は、多いに傷ついて、多いに失敗して、
泣きたいと思いました。

きっとそういうことがあって初めて、
まっすぐ笑えるのだと思います。

まだ信じるとは簡単に言えないけれど、

疑わないこと。

そこから始めたいです。


クリスマスにもらった偶然のプレゼントは
��年間悩み続けた私の心を、救ってくれました。

あれから、色々あったけど
生きていて良かった。

2011年12月20日火曜日

ときめき

時が経つのが早すぎる今日この頃。

大掃除の時期がきますね!!

最近、ある番組で片付けコンサルタントの方が出ていて、
とても感激しました。

本も出ているので、知っている方も多いかな?

ウラ声


近藤麻理恵さん。

彼女のお掃除信念は、

自分が持っている物に対して
「ときめくか、ときめかないか」。
今ときめかなかった物は捨てるという術なのです。


私はこの言葉にすごく感動しました。
掃除をすると、私はモノをばんばん捨てます。

どちらかと言うと、モノを捨てられる人間なので、
掃除は得意だと思っていましたが、

近藤麻理恵さんの言葉を聞いた時、
自分がどれだけひどいことをしているか
実感してしまいました。

特に買い物に関して反省しました。
私は本当にときめくものを、購入できていない気がしたのです。

だからゴミを増やしてしまうんです。

ゴミを捨てられない人も沢山いますが、
ゴミを出す人もきっと沢山いますね。

きっとときめくってとても貴重な感情なのだと思うんです。

私の部屋は今がらーんとしていますが、
それだけときめくものが限られているのが分かります。

自分の心が本当にときめく物って、
とても少ないです。

だから、これからはきちんと胸に手をあてて、
ときめいたものだけ購入したいと思います。

そして、ときめいたモノたちのことは
とても大事にしていきたいと思います。

きっと、自然にできてる人からしたら
当たり前のことかもしれませんが、

私はとても雑に生きていたような気がしました。

そんな私が、大掃除をしてる中で
ものすっごくときめいたモノはこちら

ウラ声


友達から誕生日にもらった手作りアルバムです。

ときめき度MAXデス!!これを見る度感謝が溢れます。


モノを大事にするってことは、
人を大事に想うことと同じことだと思いました。


この時期ですから、
みなさんも是非ときめきを確認しながら
大掃除してみてくださいね。

2011年12月15日木曜日

リハーサル動画

こんばんは!Uraです!!

ただいま1月7日のライブに向けてリハーサル中です!!
リハーサルから一曲動画でおくります。
「白昼夢」



2011年12月13日火曜日

支え合い

先日は友人の誕生日でした。
��年続けてお祝いできていることを幸せを感じています。

彼女との出会いは学生時代でした。
��年間も同じクラスで、
席が前後だったので授業そっちのけで
色んな話しをしていました。

��年経った今も、
そんな時間が変わらず流れていような気がします。

この8年に、私たちは沢山失敗をして、
例えばそれは人を傷つけたこともあったと思いますし、
人を疑ってしまう時期もありました。

けれど、彼女がいたから、何度でも立ち上がろうと思えました。

BEBEも、もうダメかと思った時がありましたが、
その時も彼女が支えてくれました。

私は一人だったら、歌を歌おうとも思わなかったでしょうし、
ここまで続けるなんてことは絶対なかったと思います。

私は音楽って音楽が好きだから
続けるものだと思っていました。

だから音楽嫌いになった時が
やめる時なのだと思っていましたが、

今はそれだけではないと思いました。

支えてくれた彼女や、周りの人達の想いを
大事にしていきたいから続けているのだと思います。


自分のことばかりを考えている時は無力でしたが、
想う相手がいればいくらでも強くなれるのだと思いました。


そんな彼女、誕生日当日に魚にあたりました(ノ゚ρ゚)ノ ォォォ・・ォ・・ォ・・・・
夜から朝方まで格闘しました。。

もう落ち着いたから安心です!!

あの日、彼女の背中をさすりながら、
辛い時は支え合いだな!!

と改めて思いましたwww

2011年12月6日火曜日

私は私、あなたはあなた。

掃除をしていたら小さい頃の写真をみつけました。



ウラ声




ウラ声




この写真を見て分かる通り、

私は年子の姉にいつもついて回ってました。



母は、仕事で忙しかったので

いつも姉が私の面倒を見てくれました。



私はとてもわがままで、

疲れたら歩けないと大泣きしたりして、



姉が私をおぶって帰ってくれたことが何度もありました。



姉はとても器用な人で、

絵もうまい、歌もうまい、勉強もできる、料理もできる。

そんな人でした。



反対に私は元気だけが取り柄のような人間で、怒られてばかりでした。



けれど密かに姉のようになりたいと思っていました。



高校は姉と同じところに行きたくて、

寝ずに頑張って合格しました。



今考えると、そんなすごい高校でもなんでもなかったのかもしれないけれど、



姉を追いかけて自分の手で達成した目標は

あれがはじめてでした。



私が音楽を始めたのも、

高校で姉がバンドのボーカルをやることになって、

私はそのバンドのギターとして入れてもらったことがきっかけでした。



ずっと、姉に憧れて生きてきました。



けれど、思春期をすぎた頃から

私は姉にはなれない現実を見ました。



「私は私」であることを自覚するようになりました。



姉とは違う自分自身をずっと悲観的に思っていましたが、

今はやっと「自分」を認めてあげられうようになりました。



些細なことですが髪型もその一つです。



姉はずっとロングなので、

やはりロングに憧れていましたが、



ある時にばっさりショートにしました。



そして最近は「ショートがよく似合う」とお言葉を頂きました。



とても嬉しかった。



とても些細なことだけど、ね。





私らしく生きることは難しいことですね。



例えば私と同じような人がいるなら、

言ってあげたいな



「あなたはあなた。それだけで美しい」と。

2011年11月30日水曜日

救いのベーグル

今日スープカレーを食べに行きました。
とても美味しくて、
一緒にいった友人とおいしいおいしい!連発したり、
お店の可愛さを絶賛していたら、

お店の方が、
販売しているベーグルをプレゼントしてくれました。

しかも4つも!!!!

ウラ声



こういうのってとっても嬉しいですよね。

昨日は眠れなくて、
少し疲れていた私には救いのベーグルです。

こういう瞬間に心って弾んだりするから
心って案外単純なのかな?

頭がごちゃごちゃしてる時はそんな風に思えないけれど。

様々な瞬間に支えられて生きているんだな私。


そうそう、久しぶりに髪を染めて
イメージチェンジをしようと思っています。
進化の時なのかもしれません。

へ~んしん!!!!! したらまた更新します!!
お楽しみに♪

今日はベーグルを抱いて寝ます。

2011年11月25日金曜日

犬の優しさ

祖父と孫を一晩温めた犬を表彰 北海道
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20111124-00000055-nnn-soci

うちの実家でも犬を飼っています。
不思議ですが犬はいざという時に
人を救ってくれる生き物な気がします。

私は小学生の時、
学校ですごくショックなことがあって
一度だけ本当に死んでしまおうかと思ったことがありました。

今考えると本当に大したことではなかったんですが、
あの頃って傷みが直で胸に刺さるから、
とても繊細だったんですね。

学校から家に帰って思い詰めていると、
普段は鳴かない先代のチビが、
鳴いて私を呼ぶのです。
そして一生懸命顔を舐めてくるんです。

勝手な妄想ですが、
一生懸命私を止めてくれたような気がしました。

私はチビを抱きながら
これでもかってくらい泣きました。

その後は泣きつかれて寝てしまったけど、
チビは私のそばにずっといてくれました。

犬が、本当のところどんな気持ちでそういう行動をしているのかは
分からないのですが、
際限のない優しさを感じます。

そしてそういう優しさが、
人には必要な時があるんだと思います。

こんな世知辛い世の中ですから。


ウラ声

2011年11月22日火曜日

『この世の果て』

私は野島伸司のドラマをよく見るんですが、

先日久しぶりに『この世の果て』というドラマを見ました。

このドラマを見る時はすごく精神力を使います。

今日はそのドラマの、あるセリフについて日記を書きます。


『俺の想像だが、おまえは父親に愛されたことがないな。
幼い頃、父親に愛されなかったと感じる少女は、
自分が悪い子だからだと思ってしまう。
やがて成人して恋をしても、その潜在意識は消えない。
だから、男が駄目な奴でも、それは自分のせいだと思ってしまう。
その女は母性的であるとも言えるが、心理学的には完全な病気なのさ。』


このセリフが、
私の心には深く刻まれています。

はじめてこのドラマを見たのは確か小学1年生で、
母が録画して見ていたのをよく一緒に見ていました。

それから中学生、高校生、大人になっても
このドラマを見て来ましたが、

いつもこのセリフのシーンで私は胸がザワつくのです。

このセリフが好きなわけではありません。
そしてこのドラマが好きかと聞かれたらYesとは言えません。

それでも私が今まで見て来たドラマの中でこれほど
胸に刻まれた言葉はないです。


うちに父はいなかったけど、
私はそのことを不幸だと思った事はなかった。

愛されていなかった?

そんなこと、考えたらきりないじゃない。

分からない。でも、このセリフは胸が痛い。

必死にしまってきた心を
一瞬にして開かれているようで。

こんな風に私はドラマだったり映画だったり歌詞だったり、
そういうもので「自分のこと」を知る事がある。

でも、そういう共感を越えた、
シンクロするほどのものが私には大事なんだと思う。

楽しんで見るものではないけれど、
正座して向き合うような作品。

こういう作品に出会えてよかった。


みんなにもシンクロする言葉や作品があるんでしょうね。
良かったら教えてくださいね!!

2011年11月21日月曜日

良い1週間

こんばんはUraです!!

沖縄から帰ってきました!!
沖縄の写真を
mixiやfacebookにアップしたので是非覗いてみてください♪
新曲のPVも撮ってきました!!
公開は2012年1月予定です♪お楽しみに!!

今日は近所の児童養護施設で行われた
バザーのお手伝いに行ってました!!


その施設にはBEBEで
卒園式に演奏をしに行ったり、
バザーのお手伝いに行ったりと

いつも良いお付き合いをさせていただいています。

そして今日の係りは「たこやき係り」でした!!


ウラ声-IMG_6114.jpg


ウラ声-IMG_1117.jpg


最初はなかなかうまく焼けなくて大変でした!!
でも後半はなんとか丸になってくれましたwww



子供たちも久しぶりに会ったら大きくなっていたな。

1年に1、2回しか会わない私たちのことを
ちゃんと覚えていてくれてることが嬉しいです。


「BEBEのCD聞いてるよ!!」
って言われた時はもう泣きそうになるんです。


そして「早くテレビにでてね!!」って言われて、
より一層頑張ろう!!って思った1日でした。



知ってる人もいると思いますが、
私はこう見えて保育士を目指していたんです。


専門学校まで行きましたが、途中で諦めた夢だったので、
こういう形で子供たちに関われるのは本当に幸せです。


これからもこういう形で関われたら嬉しいです。


話は変わって先日、
テレビで女子バレーの試合を見ました。


闘ってる姿に、奮い立たされました。


私は彼女たちの背中を見ました。


その背中に全てが刻まれているような気がしたんです。


力をもらいました。
感動しました。


同じ女子として、私も本気で進もうと思いました。

そんなこんなで
この一週間は良い1週間でした。

明日からもまた頑張れそうです。



2011年11月16日水曜日

沖縄・ジュゴンの見える丘より歌を贈ります。

こんばんはUraです。

今沖縄三日目の夜です。
今日は私の尊敬するアーティストCoccoの
歌にもなっている『ジュゴンの見える丘』という場所に行って来ました。

兼ねてから、ここで私は歌を歌いたかったのです。
長年の夢を今日達成しました。

今、こうして音楽をやっていること、やらせてもらえること、
心から幸せを感じています。


そして、この感動を教えてくれたCoccoと沖縄に感謝をこめて。



2011年11月14日月曜日

デザインフェスタ&喧嘩

おはようございます!!Uraです!!

昨日は友人の陽子と国際展示場で行われた
「デザインフェスタ」に行ってきました!!

ウラ声



BEBEも来年5月にデザインフェスタでライブ&出店をするので、
今回は下見に行ってきました★

個性的な出店やパフォーマンスばかりでした!!
帰りに会場で売られていた
どでかいハンバーガーを食べて帰りました♪

ここまでは、とても素敵な日ですね、とても。

けれど帰り道事件は起きました。

陽子と沖縄の妄想を繰り広げてる中で
突然の喧嘩が勃発!!www

しかもきっかけはデザインフェスタで食べたハンバーガー!!!!
なんですとーーーーーーー!!!!

なんでかって言うと、
沖縄初日に、沖縄限定のファーストフード『A&W』 に
行こう!と前から話していたんですが、
今日食べちゃったじゃん!!
っていうことで喧嘩になりましたwww

あぁなんてアホウな私たち。。。w

でも喧嘩するほど仲がいいと信じて
今日旅立ちます♪

実家で旅行鞄を借りたら実家で飼ってるハチが
『連れてけ』とばりに鞄に入り込んできました。

メロメロです。連れて行きたいです。

script_ameba_vision_movie,http://visionmovie.ameba.jp/mcj.php?id=52s52qg75nW:bhbW:Oh:ce:xs04.Lpphw2SEf7/xmLdihXUShgKJUd:Dx_H:yt:OS:VF_9aeLZPM4RGhckOmiMq/&width=320&height=240&skin=gray


それでは行ってきます♪

2011年11月12日土曜日

ボルダリングの女

こんばんはUraです!!

レコーディングは一曲終了しました☆

みんなに聞いてもらえることが何よりの楽しみです!!


そしてレコーディングの合間に
「ボルダリング」というものを体験してきました!!


じゃじゃーん

ウラ声



ウラ声



もう私はどんな崖にいようと、生還できるかもしれません!!

お猿さん並に登りました!!


一緒に行っていた友達は
��~3回登ったら限界がきたようで
私のことをじっと見学していましたw

次の日はもうひどい筋肉痛で、
手のひらと指がジンジンしていたけど、

運動不足解消にはとてもオススメですよ♪

やったこと無い方は是非トライしてみてください☆


さてさて来週は沖縄にいってきます!!
新曲PVの撮影をします!!

沖縄は高校の修学旅行以来です。

楽しみで今から眠れません。
もう今からお菓子の用意をしています。

とりあえずアポロと、アポロと、アポロっと。


怖いのは、私が雨女ということです。

どうか今回だけは私の悪運よ去ってください。

それでは沖縄からまた更新します♪



2011年11月9日水曜日

BEBEのレコーディング風景

BEBEのレコーディング風景をとりました!!

撮影の陽子に叱咤激励を受けながら頑張ってます♪



2011年11月8日火曜日

まめなえこ。

前回の日記『精神医療の現状。とくダネより』

に沢山のコメントありがとうございました。




みなさんの意見、参考にさせてください。


本当にありがとうございました。





mixiの方で、


マイミクのゆまが書いたコメント。





”自分の身体なんだから、貪欲にいろいろ求めて足掻いていいと思う”





私もそう思います。


自分の望む道を示せるのは


家族でも医者でもなく本人しかいません。


本人の意志をまず大事にして欲しいなと思います。





��-----------------------------------





話しは変わって、


今日は私の友達を紹介します。





名前は『まめなえこ』です。





ウラ声










えぇ。豆苗です。えぇ。


かわいいですね。





豆苗みなさん知っていますか?


これはグリンピースの新芽なんです!





この前友人に豆苗は水につけておけば


また生えてくると聞いて試してみたんですが、





まだ一週間くらいなのにこんなにわっさわっさ!!!!!


もうこの早さだと


うちの部屋、そのうち豆苗で埋まるかもしれない!!!!





そこまでいったらネット販売しちゃう!!!!





��束 1万。





なんたって可愛がってるまめなえこですから★





シャキシャキしてとっても美味しいんです。


炒め物にも鍋にもおひたしにもなんでも合います!!


本当になんでもあいますよ。


宣伝です。営業です。





もしうちのネット販売が待てないみなさんは、


スーパーで買って食べたあとに育ててみてくださいね♪











ただいまBEBEは新曲レコーディング中です!!


お楽しみに♪





ウラ声

2011年11月5日土曜日

精神医療の現状。とくダネより

��1月4日の朝、
フジテレビの『とくダネ!』を見ました。

その中で現代の精神医療に対する特集がありました。

今回の特集では、
医者が薬を大量に出しすぎていることが
問題として取り上げられていました。

特集の中で出てきた患者さんは、
頭痛がするのが神経性だと言われ10年以上、
何種類もの薬を飲んできたそうです。

手は震え、舌がもつれてろれつが回っていない状態。

「医者の言うことは絶対」と信じた結果、
10年も20年も苦しんだ事実。

番組の中では医者から処方された薬を一度で大量に飲み、
死んでしまった患者さんもいました。

現在の精神医療では、
まだ”死”というものを引き起こしてしまうのが現実です。

そういう死が無くなっていく世の中にしたいです。


現在何種類もの薬を処方されていて
何年経っても良くなっていない方は
セカンドオピニオンをお勧めします。

テレビでも言っていましたが

「良い医者」とは

��分や10分の診療で大量の薬を処方するのではなく
患者の話をよく聞いて、治療の目標を立て
薬は単発(1種類)で行う医者。
認知行動療法などを取り入れている医者。

少しでも違いを感じた方は、
セカンドオピニオンを考えてみてはどうでしょうか。


そして番組では
患者側の「見極める目」も必要だと言っていました。

私もその通りだと思います。
医者だけではなく、
患者にも正しい判断が必要になっています。

そしてそれはご家族の協力も必要です。
自分一人で抱えるのではなく、
周りの人と正しい判断をしながら、
本当にいい治療をしていくことが、
病気と向き合うということではないでしょうか。


去年私の友人が癌になりました。
そんな時、
家族や友達は一緒になって知識を入れたんです。
医者に任せ切りなだけではないです。

みんなが最前を尽くすんです。

病気って誰が悪いわけでもありませんよ。
でも、みんなで協力しなきゃ治らないんですよ。

だから、もし今、自分だけで抱えようとしてる人がいたら
その荷物を少し降ろしてください。

もし今、周りに一人で抱え込んでいる人がいたら、
少しでも荷物を持ってあげてください。


それってお互いさまですから。

私も沢山の人に支えられていました。

次ぎは私が少しでもその荷物を持ちます。




今まで自分の荷物で一杯だったこと、ごめんね。



そして最後に、
番組で事実を伝えてくれたこと、
その事実を伝えようとしてくれた患者さん、
そのご家族の方に深く感謝します。

2011年11月1日火曜日

ピストバイク

ブレーキなしのピストバイクが今問題になっています。

今日、歩いてる私に
ピストバイクが突っ込んで来ました。

幸い大した怪我もありませんでしたが、

ブレーキがついていなかったので注意をしました。

しかし相手は私を無視してそのまま行ってしまいました。

怒りというより、胸の奥がとても痛くなりました。

悔しいような、悲しいような。

そして私はとても後悔しました。

その時に彼を捕まえて警察に行くべきだったなと思います。

彼の為にも、今後の被害が拡大しない為にも
すぐ行動に移すべきだったなと思います。


しかし本当に情けないのは
警察に突き出す事しかできないのかってことです。

警察に任せるばかりではいけないと思いました。

どんな問題も、任せ切りは無責任な気がしました。

自分が出来る事をしていきたいと思います。


信じる事と、放置は全く別物です。
放置しないで、この問題に向き合いたい。

けれどはじめから疑ってもいけない。

疑わず、きちんと伝えていくこと。

正しさじゃなくて、愛情を持って。

今回の件でまた、
自分のやるべきことを考えさせられた気がする。


歌も生きることも全部一緒だ。

自己紹介。私のLike!!

私は1年前にmixiをやめて、先日再登録しました。
やっと前からのマイミクさんとも再会できて嬉しいです。

そしてあたらしく出会ったみなさんよろしくお願いします♪

そんなこんなで
今日は私の好きなことや、好きなものを紹介します。

イチゴ。
これは神です。昔姉と取り合いをしたせいか、
抱え込み、独り占めして食べます。
イチゴを食べてる姿は野生と言われます。


おたけび。
これは、興奮度合いを表します。
赤ちゃんがいきなりおたけび上げるのを見て学びました。
駅のホームでよく雄叫びあげます。


競歩。
友達と突然競うのが好きです。
やはり競う心って大事だと思うんです。
日々1位を狙ってます。


真面目な後の変顔。
日々変顔していた時に、「つまらんな」と思いました。
だから激怒した後とか、真剣な話しをした後、
ここぞと言う時に変顔します。



静かな空間での思い出し笑い。
これは上級技です。
もう震えるレベルで我慢しながらニヤつくのです。



友達のバイト先。
友達のバイト先に遊びにいってニヤつくのが好きですが、
友達には確実にうざがられます。


バイオハザード妄想。
レオンになったつもりで柱に隠れたり、
ピストルを無駄にむけたりする動作をマネするのが好きです。


ドラマの台詞丸暗記。
台詞を暗記して、なりきるのが好きです。
学生の頃は予告の丸暗記をして、友達に予告をしてあげてました。


舞台で歌う事。
私はカラオケが苦手なので、
多分舞台で歌う事が好きなんです。


雑魚寝。
みんなで川の字で寝るのが好き。
私は絶対真ん中にしてください。


答えのない話しを永遠に語る。
母はいつも答えのないことを真剣に語る人でした。
だからなのか、
私もそういうことをくだらないと思わない人が好きです。
そしてそうやって語る事が好きです。


日本。
私は日本が好きです。
だから自分が日本にできることを真剣に考えたい。

人間。
そもそも、人間が好きだと思う。
とても嫌になることもあるけど、
それも含め人間が好き。



きっと好きなものはどんどん更新されます!!
変わっていくのも、変わらないのも、私なのかな。

またいつか更新されるまで
”こんな私”ですが、みなさんよろしくお願いします!!

2011年10月27日木曜日

愛のおかげ

小さい頃、母の作ったご飯を
「おいしい!」というと、

母は「愛情のおかげよ」と即答で言った。


それで私が、「愛情がなかったら料理はまずくなるの?」
って聞いたら

「もちろんよ」って。



今日それが立証された。


私は基本的に誰かに料理を作る事が多いんだけど、
今日は珍しく自分一人にご飯を作りました。


そしたらはほんとに美味しくない。。

まっっっっっっったく美味しくない。
むしろマズい!!!!

まず材料選ぶ気力もないし、

塩をふる力が湧かないw

フライパンも重く感じるし、

盛りつけもテキトーすぎるし!

それでもそれなりの味になるかと思ったら、
ほんと美味しくなくて丸呑みした。


私にとって「相手」がいることが
どれだけ大切なことか分かって、

なんか分からないけど大泣きしたw

最近「愛とはなんだ?」
って考えさせられるような作品に触れていたからか
普段より感受性が強いんだなと思った。

母の言葉を昔は笑って聞いてたけど、
そういう言葉を今は
一つ一つしっかり考えていきたいと思える歳になりました。

料理一つにしても、
その腕をふるう場所があるっていうのは、
生きてる事を肯定してもらった気分になるね。

ありがとうね。

私の歌や、料理に触れてくれたみなさん。

2011年10月25日火曜日

たわいもない日記。ロマンチスト

この前、コンビニでトイレに行きたくなりまして、
店員さんに「トイレ貸してください」と言ったんです。

そしたら、
「トイレは閉めてあるので、この鍵であけてください」
と店員さんに鍵を渡されました。

その鍵がこちら


ドMボーカルuraの「音も料理も作ります」生活。
ぞうさんのジョウロ付きですっっっっと!!!!

興奮して思わず友達に写真撮影を頼みましたw

トイレからでたらそそくさと返却しました。


ドMボーカルuraの「音も料理も作ります」生活。

私ね、こういうの好きなの。
なんでもない鍵とかにユーモアとか、可愛げがあるとか!

例えば恋人がいて、合鍵をくれるなら、
かなりふざけたキーホルダーとかつけて渡されたい!w

分かる人いるかしら!!
私にとってロマンチックというのは、
そういうシャイでユーモア溢れたものなのです。


2011年10月24日月曜日

青春の輝き

こんばんは。ウラです。



土曜日は妹の合唱コンクールを見に行ってきました!!



妹は中学3年生で、

今年で最後の合唱コンクールでした。



練習期間は「このクラスは下手だ」

と言われ続けていたらしのですが、



最後の一週間追い上げて、

結果、「銀賞」を取ることができました。



妹が堂々と歌う姿や、

銀賞をとって喜んでる姿に

心が温まる一日でした。



大きな行事を終えてこれからは受験に向かいます。





今考えると、受験というのは

人生はじめての闘いだったなと思います。



そんな闘いに、

あんな小さかった妹が挑むのかと思うと

もう大人なんだなと感じます。



私もここまで歩んで来たように、

妹もこれから多くのことと闘い、悩み、喜ぶのかと思うと、

胸が締め付けられる思いです。





母校にいって懐かしい気持ちになりました。

机や椅子が小さく感じたな。

体つきはそんなに変わってないはずなのに、不思議。



中学校時代というのは

私にとって複雑であったけど、

今考えるととても愛おしい場所でした。



そこに級友がいること、先生がいること、

青春があること。



今その瞬間を生きてる妹がまぶしく思えた一日でした。

2011年10月20日木曜日

ツレがうつになりまして

今日は朝から「ツレがうつになりまして」という映画を見てきました。

映画を見た感想を書きます。
でもこれは映画の内容にはあまり触れていません。
個人的に思った事を書きます。

まず、この映画を見て本当に良かったと思いました。
原作者さん、およびこの作品に関わった全ての方に感謝します。


自分も過去に心を病めてしまったことがあったからか、
私はこういった心の病をテーマにした作品を見なくなりました。

まだまだ客観視できないと思っていたし、
不安定の時にそういう作品を見ると、
引きずられてしまう自分がいたからです。

だけどこの作品は自分の友人からもおすすめされ、
重い腰をあげることができました。

一人で見てきました。
自分の目と心で、まっすぐ見たい時は、いつも一人で見ます。

私はこの映画を見ながら何度も過去の自分を思い出しました。

どうしようもなく泣きつづけた日
何もなくなってしまった朝
言葉が刺さる瞬間
春の憂鬱
雨の孤独
青空への希望。

日々を過ごす中で随分忘れていた気がします。
あの日々のことを。

それは私が、克服していったことになるのかもしれませんが、
もう一度あの頃を思い出すことができて良かったです。

あの頃、私は多くのものに支えられていました。

とても強い絆と思いやりに何度も救われました。

改めて支えてくれたみなさんに心から感謝します。

ありがとう。



そんな思い出とは別に、
この作品で一番感動したのは妻の姿です。

人を支えるということの難しさや、
強さを教えてもらいました。

私は自分が支えてきてもらった側だというのに、
人を支えることに関しては
全くできていなかったなと思いました。

支えるのではなく、
時には人の心に土足で踏み入ったこともあったと思います。

そんな自分をとても情けなく感じました。

支えてもらったのに、
私は何も返すことができていなかったんですから。

とても冷たい、
自分勝手な人間に成り下がっていたと感じました。

私はずっと自分のことを治していくことに集中してきましたが、
きっと私はもう十分、
心の安定を取り戻したと思います。みんなのおかげで。

もちろん前みたいに無理をすることは禁物だし、
自己管理をしっかりすることが大事ですが、

今後は支えることができる人間でありたいと思いました。


病気になった理由を考える人間ではなく、
病気になった「意味」を一緒に考えられるような人に、

そんな温かい人間になりたいです。


「ツレがうつになりまして」まだ見ていない人がいたら
是非見てみてください。

とてもいい映画でした。

2011年10月15日土曜日

誰が加害者

私が嫌いだったのは、大人じゃないんだ。

大人に染まってしまった小さい頃の同級生だ。



確かに大人は大変さ、

守るべきものがあるから。

飲み込まなきゃいけないことがあるんだろう?





だけど子供はどうだ?



大人のように染まってただ現実を並べたがる同い歳がいたよ。

「仕方がないって」何も試していないのに諦めて行く奴らがいたよ。



おいおい、次の世の中作るのうちらじゃないのかよ。



だけどそんな同じ年代だってもう大人になってしまった。

「もう大人だから」なんて言うのか。



あぁ救いようがない。



そういう奴らこそ大人を責めたがるんだ。

過去を責めるのさ。

時代を責めて、社会を責めて。



自分がまさか加害者なんて思いもしないのさ。

2011年10月10日月曜日

私が私に学ぶこと。あなたが私に教えてくれたこと。

こんばんはUraです。
BEBEという歌い手を本気でやっていく上で
私が志していることを書きたいと思います。


私は現代の、そしてこれからの精神医療やその周り、
当の本人の体制に不安があります。

私はそれらの問題に立ち向かって生きていきたいと思う。
ここに誓って。


ここに書かれている文は
私の勝手な意見なので、色々な感じ方があると思いますが、
一個人の考えとしてここに記します。

��8歳の冬、ある一時期私は精神科に通っていました。
私がそうなったきっかけは、
友人Nに精神の不具合が生じた事がきっかけでした。

家族ほど身近な人間が、
精神病になってしまった姿を見た時、
私は正直ショックでした。

だけどその反面、私はおぞましい考えを持っていました。

私もあんな風になったら、
誰かから心配してもらえるんではないかと

私もあんな風になれたら、
孤独だと叫んでも許されるんじゃないかと。

そして私は少しづつ病を装いました。
自分に自分は可哀想なのだと言い聞かせて。

友人にも自分はおかしいかもしれないと漏らすようになりました。
そんな言葉を口にするほど、友人は不安な顔をしました。
私のために泣いてくれる子もいました。

その事が私の何かを埋めていくと、
すぐまた足りなくなるのが分かりました。
私はどんどん大げさに病を装うようになりました。

当時通っていた専門学校で
授業中に泣いたり、突然教室から逃げ出したり、暴れたり
誰が見ても私は普通の状態ではなくなっていました。

沢山の子が心配して私の話を聞いてくれました。
小さい頃からの孤独感や、
両親の離婚、母の浮気、姉へのコンプレックス、恋愛、人間関係、将来。

私の話しはつきる事がなかった。
私は悲劇のヒロインで居続けました。

最初は自らの意思と、演技だったはずの病が、
いつの間にか自分でもコントロールができなくなりました。
そして私は休学をし、精神科に通うようになりました。

休学中に単位を落とし、仲間と一緒に卒業はできなくなりました。


こんな事がしたいわけじゃなかった。


一気に血の気が引いたのを覚えてます。
戻りたいと思いました。もとの私に。

しかしもう誰も私の味方ではなくなっていました。
私はみんなに必死で話しかけましたが、
誰もが避けているように見えました。

初めて経験した本当の孤独でした。


私は逃げるように学校を退学しました。

何もしないで病院だけ行く日々がしばらく続きました。
学校の事で傷心しきっていた私は
カウンセラーの前でも大げさに話しをしました。
私は可哀想だと。
結局どこにいても愛されなかったなんて。

先生は優しかった。
だけど私はそこに何も感じられなかった。

意味を感じた事と言えば、『精神科に通っている』という事でした。
私が今仕事も学校も行かない事の理由になったから。
学校をやめた事も、そんな現状も正当化できました。

病院から処方された薬を飲むとフラフラしました。
体がダルくてすぐに眠くなりました。

今日が何日で何曜日で今日なにを食べて何を話したのか全てがあやふやだった。

無の上で、死んでもいいかなと毎日思ってる時期でした。

そんなある日、病名は来週診断結果がでると伝えられました。

自分は何の病なのか考え、
ネットや本でも沢山調べました。
病気は無数に存在し、自分に当てはまるものはいくつもありました。

友人Nの診断された病気は、
完治の方法はまだないと言われていました。

もし私もその病気だったら、こんな薬を一生飲まなくちゃいけないのかと
この先の人生に嫌気がさしました。
自分の人生に、こんな自分に嫌気がさしました。

リビングにある薬箱に手をかけて、
大量の薬をゴミ箱に捨てた。

そして母に『もう病院はいかない』と言いました。

それから私は一度も病院には行きませんでした。
結局ちゃんと病名も聴かずに。

だけど私は逃げたわけじゃない。
そう思っています。

それから約1年後不安定な日々は続きながらも、
アルバイトをはじめました。
病院や薬に逃げたいと思った日もありました。

けれどその度、私は自分は病だったのではなく、
病と言う言葉に逃げ込んだだけなんだと噛み締めました。

外に出る事が増え、少しづつ生きている実感を取り戻しました。

そんな中、高校の友人にバンド(BEBE)のボーカルを誘われます。
当時19歳でした。
こんな自分をボーカルとして誘ってくれる事に、
身震いを覚える程嬉しかったです。

作詞作曲、練習、ライブ、やる事が沢山ありました。
何年かぶりに『楽しい』と思ったのです。

そして今も、私はこうして歌を歌っています。

この話しはたかだか私の一例ですが
とても大事な経験でした。

あの時に病名を聞いていたら、
今はないかもしれないと思う時があります。

きっと「病気」という状況に逃げていたからです。

今もあの頃のように薬を飲み、
無の中を彷徨い、多くの感覚(感情)を失っていたかもしれません。
そう考えるとすごく怖いです。

意識の上での病が、無意識になるのなんて本当に一瞬で、
誰もがこういった予備軍なんだと思います。


私が一番に思う事は、精神病の完治に答えは一つではないと言うこと。
そしてそれを周りや本人がよく認識するべきだと思います。

実例が増えすぎて病の種類だって増加しつづけてる中、
お医者さんに全てを任せても、絶対に治らないと思います。

薬やお医者さんは、一つの支えにすぎません。

それだけに依存していく世の中や家庭は、
根底の問題もっともっと深刻に考えるべきです。

精神医療制度も、
本人や家族へのカウンセリングや、指導がまだまだ足りないと思います。

精神病を完治させるには本当に様々な支えが必要です。

周りの人も、関係があります。
心の病は、本人だけの問題ではありません。


そして当事者は、
何かに救ってもらおうとするのはやめなくてはなりません。

結局お医者さんがいても、薬があっても、
家族や友人がいても
本人の足で立たなければ『治せる』わけではないです。


私の経験で言えることは、

克服への道は自分で自分と闘うことでした。

誰も責められない、何にも逃げれない。

誠実に真っ当に生きる事しか出来ないことが分かりました。


古くからある言葉は本当に的を獲てます。
『病は気から』

その通りだと思います。
『病は他から』ではなく、自分の気からです。

病の克服への道は、自覚と、それからの意志だと私は思います。

ただ、その闘いを支えてくれる周りが必要です。必ず。




現実は厳しい。きっとそれだけは世の人、全て平等に。




自分を救ってくれるヒーローはいません。

ただ自分を変えるほどのものはあると思う。
私にとってその一つが音楽でした。

音は、どこかの壁にあたって必ず返ってきてくれました。
頑張りを認めてくれるかのように。

私は歌を一生続けていたいと思います。




友人のNは、
入退院を何度か繰り返したのち、
リハビリを含め、うちの家族とバンドをはじめました。
日常生活を取り戻す為に非常勤からはじめた保育士の仕事を、
現在は週五日間働いています。

趣味でバンドをやりながら、
その仲間と肩を組みながら懸命に生きています。

この仲間達に傍観者は一人もいません。

私もそんな仲間と一緒に肩を組みながら、
これからも生きていきたいと思います。

私の周りには精神の病を抱えた友人や身内がいる。
もしかしたら私もその一人、あなたもその一人かもしれない。

最後に友人N、彼女が演奏会で私に言った言葉を
私自身に、そして皆さんに贈ります。



『諦めない。絶対に』

7周忌

 
7周忌
10月8日は、実家で飼っていたチビの7周忌でした。

もう七年も経ちました。

一年づつ私は変わっていきました。

お墓の前で「ごめんなさい」しか言えない時期もありました。

それが少しずつ「ありがとう」に変わりました。

そして今年は、「がんばるね」になりました。

少しずつ変わってきました。

けれど今も、
記憶が薄れてしまう事が怖くて怖くて仕方がない時があります。

私はきっと、
罪を忘れていくことが怖いのでしょう。

でもきっと少しずつ
忘れて行くことを、幸せになることを、
受け入れなくてはなりません。

それが残されたものの使命だと母は言います。

自分で自分を許す事が一番難しいものですね。

けれど少しずつ、私は私を許しはじめています。

そしてこの先が大事なのだと言う事も分かっています。

後悔の先に何を築くのか。

これが生きるということなら、

泥まみれようとも必死に歩いていきたいと思います。

そして、私を許してくれた周りのみんな、
ありがとう。


2011年8月20日土曜日

家族

家族ってなんだろうと、
考えることがある。

というか、生きてる中で一番考えてることかもしれない。

物心ついた頃からずっと考えてきた。

だけど、分からない。

家族ってなんなのか、分からない。

とても近いのに、とても遠いの。

でも、一つ分かるのは

家族のことをとても必要としてるってこと。

血の繋がりとかじゃなくて、

家族ってものを私はずっと求めてる。


いつもそんな想いが溢れだす。
歌を作る時も、
眠る時も
食事の時も。

私はいつかこの疑問に答えをだせるのかな?

2011年7月16日土曜日

私にとっての音楽

私はBEBEの活動の他に
趣味でバンド活動をしています。

メンバーは家族全員と、友達。
総勢11人。

そのメンバーで昨日、
ライブをやりました。

本当に身内だけでやる手作りライブです。

だけど本番は震えるくらい緊張するし、
泣くし笑うし、
趣味といえどガチンコでやっています。

この活動の目的は、
お金も名誉も関係なく、
本当に心の許せる人たちと、
心が動く音楽を奏でることです。


心の許せる仲間と音楽をやっていると、
分かることがあります。

どんなに深い関係でも、
簡単にいい仲間になるわけではないということ。
簡単にいい音楽が作れるわけではないということ。

当たり前なのかもしれないけど、
これがとても悩むのです。

例えるならバンドは家庭と似ているかもしれません。
どんなに強い繋がりがあっても、
簡単に良い家庭は作れないものです。

今回もライブまでの間
とても悩みました。

どんなに一生懸命やっても、
一人よがりだったり、
結果がついてこなかったり。

メンバー同士で喧嘩があったり、
遠慮があったり。
バラバラになっていた時期もあったり。


昨日を全員で迎えられたことだけでも、
奇跡のように感じました。

けれど本当の奇跡は
みんなでいい音楽を奏でようと
心を持ち寄って集まれたことだと思います。

全員が持ち寄ったその想いは
音に込められたと思っています。


私の家族は、
家庭としてはバラバラだったかもしれません。
けれど、このバンド活動を通して
血の繋がりを越える結束を築けるようになったと思います。

私は娘として最低だったかもしれません。
迷惑ばかりかけて親孝行もできていません。

だからこそ、バンドでは何か返せるように
これからも頑張っていきたいと思います。

もし、こういう活動をしていなかったら
私は音楽の楽しさや、
優しさを知る事はなかったかもしれません。

そして音楽がなければ、
うちの家族は家族になれなかったかもしれません。

音楽に私はどれだけ救われているのでしょう。

私は、音楽に生かされています。


これからも良い音楽を目指して
悩み闘いながら、
一歩一歩進んでいきたいと思います。

2011年7月5日火曜日

たばこのこと

小さい頃から、

タバコの匂いに落ち着く気がしていた。



親はヘビースモーカーで、

私はその匂いの元で育ったからだろう。



おばぁちゃんは大の禁煙家で、

うちの母へいつも口うるさく禁煙を訴えていた。



幼いながら、「好きにさせてあげればいいのに」と思っていた。





高校のとき、

はじめて本気で好きになった人がいた。

彼は喫煙者だったけど、

私に禁煙すると宣言した。



私はなんの疑いもなく、

辞めるのだと思っていたし、

なんだかその宣言が、

愛情のようにも感じて嬉しかった。



けれど彼は

私の知らないところで吸っていたし、

私も匂いで気づいてしまった。



タバコなんていくらでも吸ってくれと思った。



たかがタバコの嘘が、

幼く、純粋だった私にはあまりにも痛かった。



私が18の頃、

母が40歳になったら禁煙すると宣言した。



母は、「筋を通す」ことを

信念に持ってる人だったから、

母が辞めるって言ったら

きっと本当に辞めるんだろうと思っていた。



��0の誕生日には禁煙グッズをプレゼントした。



けれど母は三日も持たなかった。

堂々と言い訳をして私の前で吸い続けた。





そんな風に

人が禁煙を失敗する度に、

胸のどこかが冷えていくのを感じてた。





私はタバコを吸う事を悪いとは思っていない。



きっと音楽や、宗教と変わらない。

それが必要なら、

多分誰がなんと言おうと必要だから。





私だって分からずやではないつもりだ。

私にだってどうしても必要なものがある。



たまたまタバコは吸っていないだけのことだ。



分かってる。





けれど今は、タバコの匂いが

私の傷に触れていくのは確かだ。





きっと私は愛を持っても

太刀打ちできない人間の弱さに

悲しくなってしまうのだ。



何も悲しいことではないはずなのに。



人はとても不安定なもの。

バランスを整える為に

必要なものがあるだけのこと。





愛だけで人は救えないのだろう。













タバコの匂いが

いつまでも私について離れない。



「愛だけでは救えない」



と語りかけるように

2011年6月20日月曜日

心がなくなる時とは

運動中は無心状態だと知人に聞いて、

最近水泳やらジョギングをしてみた。



確かに、いくらか頭がクリーンな気がした。

いつもは頭がグルグル回転しているけど、



些細な考え事を、運動中は考えなくなった。



けれど反対に、

強く心に引っかかっているものは、

運動中、余計にはっきりしていく気がした。



一番純粋な感情だけが浮き彫りになって、



少し荒れた呼吸をしながら、

涙腺が潤んだ。





日常を送る為に、

触れないようにしている感情がある。



でもその感情に触れてしまった日だけは、

泣いてもいいかなって思う。



少しくらい泣いてもいいよって、自分に言ってあげる。





水泳はあまり得意ではなくて、

高校以来だったのだけど、

いつまでもいつまでも泳げる気がした。



水の音が心地よかった。

母のお腹の中にいた頃のように、

赤ん坊に帰った時間だった。



無心状態というのは、

私にとってどんな時なのだろう。



ふと、死んだ時なんじゃないかと思った今日この頃。

2011年6月5日日曜日

確かなこと

私はいつも「もしこのまま死んだら」って不安になる。

もし今日死んだら、もし明日死んだらって考えてる。



��0年後生活できているかとか、

そういう将来は私にとってあまり重要ではないみたい。



今を生きるのに必死なのかもしれない。



小さい人間だなぁと思う。



自分の足もとを見て、一歩踏み出すこと。

それくらいしか今の私にはできないみたいだ。





だけど例えば、自分の足もとに自信を持てるようになって、

頭を上げて歩けるようになったら、



誰かに手を差し伸べられるような人間になれるかな。



広がる未来をしっかり見つめることができるかな。



家族との亀裂を、埋める事はできるかな。





未来の自分がどうなるか分からないけど、

今の自分のままでは死ねない。



それだけはこの胸が確かに思ってること。

2011年6月1日水曜日

もっと高く

BEBEがバンドからソロになった。

これはメンバーに背中を押されて決めたことだ。

がんばれって、背中を押されて。


��8歳から、ずっとやってきた。
高校からの友達や後輩と夢を持ち寄ってきたバンド。

本当に大切なバンドだった。

何も忘れちゃいない。

辞めたあなたのことも、

一つ一つのライブも音楽も。

この全てを抱いて、
私はもっと高く進んでいこうと決めた。


ステージに陽子やhydyがいないのは、
寂しい。とても。

だけど、二人は見えないところでも私を支えてくれている。

本当にかけがえのない仲間。


バンドという括りを越えて、
これからも三人で BEBEを作り上げていきたいと思う。

今までバンドBEBEを応援してくれたみなさん、
本当にありがとうございました。

支え合いながら、
三人一緒にもっと高く飛ぶのが目標です。

いつまでも、生きることを諦めないように。




ソロ活動は、路上ライブからはじめていきます。
またみなさんにお会いできる日を楽しみにしています。

BEBE Ura

2011年5月25日水曜日

受け止める事が強さ?

親子でも 人と人



永遠を見た友でも 人と人



愛し合った人でも 人と人











どんな関係でも、どんなに近くても



人と人は他人だという事実がどうしても悲しいんだ







私たちはなんで一つにはなれないんだろうか







家族なのに一つにはなれない







愛し合っているのに一つになれない







こんなに近いのに



こんなにも遠い 







私が今まで求めてきた形は、きっとない



どこの世界を探しても、ない







それでも心が叫ぶ



「本当にないの?」







そしてまた現実が「ない」と私をあざ笑う







そうだね、現実を受け止めよう











それでも私は心のどこかで



「本当にないの?」と繰り返してる











受け止めただけを強さにしていくのは



私には向いてない







本当に見たい世界くらい



死ぬまで期待したっていいじゃないか







だって人生一度きりなのに

2011年5月10日火曜日

青い日

人は一人じゃ生きていけないと、





今週はよく言われた一週間だった





ほんとだね、一人じゃ生きていけないよ








なのになんで


一人になってしまいたくなる日があるんだろうね





愛して愛されたいだけだよ








どんなにどんなに優しさを持っても


愛をもっても、





すべて踏みつぶされる時もある





それでも一人じゃ生きていけないって事実に


私は耐えられるのかな








泣いてまた立てるなら


泣いときゃ良かった





我慢して帰ったとこで


流れた涙は枯れないじゃんか








意固地になるんじゃなくて


優しい強さが欲しい今日この頃

2011年4月24日日曜日

私は何者なんだ

私はいつも「自分は何者なのだ」

と、問いかけてきた。



まともじゃないかもしれない



人を愛せないかもしれない



本当は冷たい人間かも



あれでもこれでもない



私は何者なんだろう





私は何者なんだろうって







ネットや本を見れば

そんな自分を型にはめるヒントがあったりして



あなたは~タイプでしょう!!

なんてね。



病気だって軽い診断ができてしまう。



あんたは~の可能性があります!!

早めの診察をおすすめします。

とかね。







常に答えが欲しくて

原因が欲しくて

安心したくて





くくりが欲しい

どこかの型にはまりたい



私はそんな風に思っていたんだろう





自分が何者なのか知るために





けれどそんな型はいくらあっても足りやしない



いくらはめても、矛盾ばかりが襲うの





結局さ、「自分は何者だ」

という問いは今も解けていないし



これからもきっと一生考えつづけるんだ





でもきっとそれでいい



そういうものを受け入れようと思う





自分という存在を確かに掴めなくても



生きていける



生きようとできる



愛することも



愛されることもできるはずだ











今確かに愛してやまないものを

心から大切にしていくこと



人を傷つけないとは断言できないのだろうけど、

傷付けない努力をしていくこと





そうやって一つ一つ





築き上げることからはじめてみる







多くの人を支えたいと思っていた

あの気持ちは

とても無神経で無責任だったろう

だって私はそんなに抱えられるわけがなかったのだから





まずはあなたを大切にすることから





きっとそんな気持ちが未来を変えると信じてる

2011年4月1日金曜日

強くいる事

泣いても泣いても
枯れない時

必要なのは不確かな未来より

確かな温もりだと思った。



人はきっと強いと、

祈るように話す君に

私ができることは
一緒に祈ること

そして強くいること

2011年3月23日水曜日

片想い

呆れるくらい自分の小ささを知って

私はまた、自分のやれることを知ったのかもしれない



それは自分が思っていたものよりずっとずっと

情けなく、不格好であるかもしれない



そんな格好の悪い私に

音を重ねようと、

手を繋ごうとしてくれる人々に、

私は誠実に生きたい



人は鎖のように繋げないけど

明日もまた会おうと、言えるように力を振り絞りたい



最近はそんな風に思って生きてる







昔は人を信じて止まなかった

信じては傷つき、

出会っては信じて



何度も繰り返すうちに

信じる先に光はないような気がした

私は人を信じることをやめた

諦めた方がよっぽど楽だった



それでも、私の心は人を求めた

一人では生きられない

だって私、人が好きなんだから

信じたくて生まれたようなもんだ



歌を作る中で

人が信じられないなんて致命的だった

だから今、私はもう一度人を信じてみたい

光はなくても構わない

光は、これから灯していけばいい



また泣くかもしれない

また胸を焦がすかもしれない



それでも私は人を愛したい

心の底から人を愛したい



自分を信じよう

人を信じよう



何十年ごしの片想いでもかまやしない

振り向いてもらえるように

私は私を磨こう

2011年3月15日火曜日

暗闇の誕生日

今日私は誕生日を迎えた。



前回の日記から今日の日記を書く間に

日本で大地震が起きた。



私は仕事で外にいて、

その揺れがおさまるまで唖然としていた。



あの日から今日まで、

私は沈黙し続けていた。

何もできずにいた自分を情けなく思う。



地震が起きてからはじめて口にする言葉を

自分自身に、そして地震に傷ついた全ての人へ贈る。



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被災地の映像

人々の悲鳴

体に残る揺れ

混乱 焦り 怒り 涙



目眩を覚えるような現実



悲しみに置き所はなく

二度と、消えない



それでも私たちは

息をし、腹をすかせ、

明日を想う



けれど私たちはとても弱い

だから私たちは

手を繋ぎ、肩を組むのだと信じてる



この数日間で私が見たものは、



生きようとする人の姿だ





目を腫らす日々は続く

不安も相変わらず



それでも、今日も全ての人が

生きることをあきらめないように





��011年3月15日

BEBE Ura





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暗闇でバースデーケーキを食べたのは今日がはじめてだった。

幸せを噛み締めようと思った。



私は24年生き、今幸せを心いっぱいに感じている。

今日にありがとうを込めて。

2011年3月8日火曜日

母の誕生日

今日はお母さんの誕生日。


お母さんおめでとう。








私とお母さんとの関係はすごく難しかった。


好きとか、愛してるとか





そういう言葉では語れないような色々な感情を持ってきた。





今でもお母さんとの関係に悩むこともある。





これからもずっとそうかもしれない。





ただ、私の頭の片隅にはいつも母の面影があって、





母の意志が私の根源になっている。





感謝をしている。世界で一番。














小学生の頃まで母に不満を持ったことはなかった。





もちろん些細な喧嘩はあったけれど、


母に絶対的な信用をおいていた。





でもある時からそうもいかなくなった。





母が早いうちに子離れをしたからだ。





母は、子供に依存しない人だった。


母親というよりは、


”自分の人生を歩んでる人”というイメージだった。





私はいきなり放り出されてしまった気分になって


とにかく反抗した。





『それでも母親か』とそんなことまで思っていた。





他人の親が羨ましかった。





完全に反抗期到来だったのだろう。





年子の姉は反抗期もなく、


いつも母の見方だった。





それさえ私には不満だった。


私だけ家族の中で敵のようだった。





いや、敵だった。





母が人として生きることを私は許せなかったのだ。


母が女だということが、


母がただの人だということが


私には受け入れられなかった。





それは私がはじめて現実を知った瞬間だった。


私は母に現実を教えてもらった。





夢を見せてもらっていた小さい頃と


��80度変わった世界が「大人」だった。


あまりに残酷な気がした。








母は私の罵倒を聞いてもぶれなかった。


ずっと前を見て歩いていた。





私は過去と比べて嘆いてばっかりだというのに


母はいつも前を歩いた。





母は父の分も背負っていたんだと思う。


立派な背中を見せてくれていた。





私には母に何か言う資格はなかった。


誰かがなんとかしてくれると思って生きていた私と、


母では土俵が違いすぎた。





とても遠くに母はいる。


いつもすごく遠くに。





けれど、今を生きる私には


母と同じ意志がある。





母は私の中にいるのだ。


一番遠く、一番近い。


私にとって家族とはそういうものだ。





もっと幸せな家庭はあるだろうと思う。


けど、確かにこれが私の家庭だ。





家族のことを考えると


悲しくなる日もある。


とても幸福に満ちた日もある。





良いか悪いかでは語れないけれど、


私を作ったのは確かで、


私が今も求めてやまないのは確かだ。














お母さん私、


最近よくお母さんに似ていると言われるよ。





不思議だね。





誕生日おめでとう。心から愛をこめて。

2011年3月1日火曜日

本心

本心を伝えるだけで

壊れてしまう関係もある



いつだって本心は少し後ろに置いておいた方がいい







分かってるつもり。

それでも淡い期待がまた私を子供にする。

分かってほしい。

受けいれてほしい。



私を見てほしい。







届けばいいのに。

2011年1月18日火曜日

背伸びの仕方

自分のことを雑だなって、

思った瞬間嫌になる。



完璧になれない完璧主義者。





私は昔から姉のことを完璧だと思ってきた。

だから自分も完璧にならなければと思ってきた。



だけど多分、

姉は自分の事をよく分かっている人なんだと思う。

自分のキャパをよく知っている。



だから無理な背伸びをしない。



私なんかは足がぶるぶるするほど

背伸びするのに必死だ。





完璧でなくていいから、実力者でありたい。



もう姉を目指すのはやめたんだ。



私は私なりに、背伸びをして、

実行して。



少しずつ過去の背伸びを笑えたらいい。

2011年1月15日土曜日

地に足をつけて

今日は溝の口で路上ライブをしてきました。

寒い中2ステージまるまる見てくださったお客さんがいたり、

お友達を連れて来てくれたお客さんがいたり、

とても心温まる日でした。

演奏を終えて聴いてくれたみなさんに近づくと、

『すごく感動した』と言ってくれた方や、
『また友達連れてくるね』と言ってくた方、
『有名になってね』と言って握手をしてくれた人がいました。

なんで人の言葉ってこんなに胸を熱くするんだろう。

閉じこもっていたら絶対感じられない感情だなと思う。

私は外に出て良かったよと、18の頃の自分に伝えたい。



そういえば前回の路上では

精神疾患と10年近く闘っているという男性に出会った。

リハビリノートを付けていると言ってノートを見せてくれた。

私は心から祈った。
どうか、この闘いの先には光りがありますように。



生きる事を諦めた人たちへ、
私たちはもう第一歩を進んでいる。

もどってこい
こっちに、もどってこい

2011年1月2日日曜日

明けましておめでとうございます。

皆様、明けましておめでとうございます。

とうとう2011年が訪れました。

今年は卯年。私は年女であります。

それを考えても

今年は頑張らんといけんなと思っております。


今までももちろん真面目にやってきましたが、

今年は今までの全てを無駄にしない為に

結果を出していきたいです。




去年はとても辛い一年で、
私の悪い癖がよく出ていた一年だった。


自分自身の成長もまだまだだというのに、
背負いきれないものも背負う事に必死だった。

結局、私は加害者のようになってしまった。

支えになりたいと、力になりたいと思うほど。

こんなに悔しいことがあるだろうか。


破壊的な形でしか終われなかった事もあった。

自然に終わる事もあった。


ただ、今の私にはそれが答えだった。

でももちろん、仕方なかった。では終わらせられない。


だから今年は結果を出す。

それが私なりの誠意だと信じて。



さようなら、ありがとう。
あなには届くような気がして