2011年3月8日火曜日

母の誕生日

今日はお母さんの誕生日。


お母さんおめでとう。








私とお母さんとの関係はすごく難しかった。


好きとか、愛してるとか





そういう言葉では語れないような色々な感情を持ってきた。





今でもお母さんとの関係に悩むこともある。





これからもずっとそうかもしれない。





ただ、私の頭の片隅にはいつも母の面影があって、





母の意志が私の根源になっている。





感謝をしている。世界で一番。














小学生の頃まで母に不満を持ったことはなかった。





もちろん些細な喧嘩はあったけれど、


母に絶対的な信用をおいていた。





でもある時からそうもいかなくなった。





母が早いうちに子離れをしたからだ。





母は、子供に依存しない人だった。


母親というよりは、


”自分の人生を歩んでる人”というイメージだった。





私はいきなり放り出されてしまった気分になって


とにかく反抗した。





『それでも母親か』とそんなことまで思っていた。





他人の親が羨ましかった。





完全に反抗期到来だったのだろう。





年子の姉は反抗期もなく、


いつも母の見方だった。





それさえ私には不満だった。


私だけ家族の中で敵のようだった。





いや、敵だった。





母が人として生きることを私は許せなかったのだ。


母が女だということが、


母がただの人だということが


私には受け入れられなかった。





それは私がはじめて現実を知った瞬間だった。


私は母に現実を教えてもらった。





夢を見せてもらっていた小さい頃と


��80度変わった世界が「大人」だった。


あまりに残酷な気がした。








母は私の罵倒を聞いてもぶれなかった。


ずっと前を見て歩いていた。





私は過去と比べて嘆いてばっかりだというのに


母はいつも前を歩いた。





母は父の分も背負っていたんだと思う。


立派な背中を見せてくれていた。





私には母に何か言う資格はなかった。


誰かがなんとかしてくれると思って生きていた私と、


母では土俵が違いすぎた。





とても遠くに母はいる。


いつもすごく遠くに。





けれど、今を生きる私には


母と同じ意志がある。





母は私の中にいるのだ。


一番遠く、一番近い。


私にとって家族とはそういうものだ。





もっと幸せな家庭はあるだろうと思う。


けど、確かにこれが私の家庭だ。





家族のことを考えると


悲しくなる日もある。


とても幸福に満ちた日もある。





良いか悪いかでは語れないけれど、


私を作ったのは確かで、


私が今も求めてやまないのは確かだ。














お母さん私、


最近よくお母さんに似ていると言われるよ。





不思議だね。





誕生日おめでとう。心から愛をこめて。

1 件のコメント:

かいら さんのコメント...

うらさん(*_*)
読んで鳥肌たちました(>_<)