2010年12月22日水曜日

強く

今年の12月はどうも12月らしくない。





冬の香りがしないし、クリスマスソングだってどこかよそよそしい。





今日なんて本当に温かくて、





もう春が迎えにきてしまったのかと思ったよ。





でも着実に今年はあと少しで終わりで、来年はすぐそばにある。








最近、こういった節目に感謝している。





時間の節目、一年の節目、季節の節目。





もし節目がなかったら私はどれだけ平坦に生きていただろう。





人や世の中にはそういったラインが必要なんだと思う。





自由すぎるのは難しい。





そんなに人は強くないもの。





なんの縛りもない中では、


寝ることも、起きることも、働くこともきっと難しい。





だからその土台だけは崩れないように


首の皮一枚で生きる。





でも首の皮だって、なにかのきっかけで


切れてしまうじゃない?





その場合私たちはどうしたらいいんだ?











結局、自分なりの縛りを作る事しかない。





世間はどうだとか、常識はこうだとか、





そんなもの自分の首を閉めることにしかならない。





そうやって少しずつ自分の小ささを知っていければ、


生きぬくには充分な力だと思う。











でも私は、ちゃんと生きていきたい。





生き生きとしていたい。





その為に今、私は私に期待をしている。


信じている。





縛りやラインを遥かに越えて、私は私を信じている。

2010年12月2日木曜日

家族のしるし

小さい時、

年子のお姉ちゃんの目の下には、

いちご状血管腫という

赤いほくろのようなものがあった。



今になってその赤いほくろの本当の名前を知ったけど、

小さかった私にとってそれは「赤ぼくろ」だった。



私には黒いほくろしかないのに、

お姉ちゃんはすごいなと、感心していた。



だけどその赤ぼくろは、

おばぁちゃんにも、お母さんにも小さい時にあったという。



それを聞いた私は、生まれてきて初めて

すごく大きな不安を感じた。



私だけその赤ぼくろがなかったからだ。



目をこらして体中を探した。



私は必死だった。



だって赤ぼくろは、うちの家族のしるしだったから。



けれど、私にはそのしるしがなかったのだ。



赤の油性ペンで私は赤ぼくろを書いた。

書いては消え、消えては書いて。





お姉ちゃんの赤ぼくろは、

歳を重ねるほど薄くなり消えた。



私の不安も同じように消えて、

赤ぼくろがなくなった頃には、そんな不安も忘れていた。





��歳になって、妹が生まれた。

生まれた妹の肩にはまた赤いほくろがあった。



私はあの不安を思い出し、少しだけ笑えた。

私は少し大人になっていた。







昨日、おばぁちゃん家で湯船に浸かっていたら

右胸の上に今までなかったなにかが肌にできていた。



それは紛れもなく赤ぼくろだった。



家族だという証をもらえたような気がした。



少し泣いて、少し笑った。



私はまだ、子供だった。