2011年3月23日水曜日

片想い

呆れるくらい自分の小ささを知って

私はまた、自分のやれることを知ったのかもしれない



それは自分が思っていたものよりずっとずっと

情けなく、不格好であるかもしれない



そんな格好の悪い私に

音を重ねようと、

手を繋ごうとしてくれる人々に、

私は誠実に生きたい



人は鎖のように繋げないけど

明日もまた会おうと、言えるように力を振り絞りたい



最近はそんな風に思って生きてる







昔は人を信じて止まなかった

信じては傷つき、

出会っては信じて



何度も繰り返すうちに

信じる先に光はないような気がした

私は人を信じることをやめた

諦めた方がよっぽど楽だった



それでも、私の心は人を求めた

一人では生きられない

だって私、人が好きなんだから

信じたくて生まれたようなもんだ



歌を作る中で

人が信じられないなんて致命的だった

だから今、私はもう一度人を信じてみたい

光はなくても構わない

光は、これから灯していけばいい



また泣くかもしれない

また胸を焦がすかもしれない



それでも私は人を愛したい

心の底から人を愛したい



自分を信じよう

人を信じよう



何十年ごしの片想いでもかまやしない

振り向いてもらえるように

私は私を磨こう

2011年3月15日火曜日

暗闇の誕生日

今日私は誕生日を迎えた。



前回の日記から今日の日記を書く間に

日本で大地震が起きた。



私は仕事で外にいて、

その揺れがおさまるまで唖然としていた。



あの日から今日まで、

私は沈黙し続けていた。

何もできずにいた自分を情けなく思う。



地震が起きてからはじめて口にする言葉を

自分自身に、そして地震に傷ついた全ての人へ贈る。



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被災地の映像

人々の悲鳴

体に残る揺れ

混乱 焦り 怒り 涙



目眩を覚えるような現実



悲しみに置き所はなく

二度と、消えない



それでも私たちは

息をし、腹をすかせ、

明日を想う



けれど私たちはとても弱い

だから私たちは

手を繋ぎ、肩を組むのだと信じてる



この数日間で私が見たものは、



生きようとする人の姿だ





目を腫らす日々は続く

不安も相変わらず



それでも、今日も全ての人が

生きることをあきらめないように





��011年3月15日

BEBE Ura





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暗闇でバースデーケーキを食べたのは今日がはじめてだった。

幸せを噛み締めようと思った。



私は24年生き、今幸せを心いっぱいに感じている。

今日にありがとうを込めて。

2011年3月8日火曜日

母の誕生日

今日はお母さんの誕生日。


お母さんおめでとう。








私とお母さんとの関係はすごく難しかった。


好きとか、愛してるとか





そういう言葉では語れないような色々な感情を持ってきた。





今でもお母さんとの関係に悩むこともある。





これからもずっとそうかもしれない。





ただ、私の頭の片隅にはいつも母の面影があって、





母の意志が私の根源になっている。





感謝をしている。世界で一番。














小学生の頃まで母に不満を持ったことはなかった。





もちろん些細な喧嘩はあったけれど、


母に絶対的な信用をおいていた。





でもある時からそうもいかなくなった。





母が早いうちに子離れをしたからだ。





母は、子供に依存しない人だった。


母親というよりは、


”自分の人生を歩んでる人”というイメージだった。





私はいきなり放り出されてしまった気分になって


とにかく反抗した。





『それでも母親か』とそんなことまで思っていた。





他人の親が羨ましかった。





完全に反抗期到来だったのだろう。





年子の姉は反抗期もなく、


いつも母の見方だった。





それさえ私には不満だった。


私だけ家族の中で敵のようだった。





いや、敵だった。





母が人として生きることを私は許せなかったのだ。


母が女だということが、


母がただの人だということが


私には受け入れられなかった。





それは私がはじめて現実を知った瞬間だった。


私は母に現実を教えてもらった。





夢を見せてもらっていた小さい頃と


��80度変わった世界が「大人」だった。


あまりに残酷な気がした。








母は私の罵倒を聞いてもぶれなかった。


ずっと前を見て歩いていた。





私は過去と比べて嘆いてばっかりだというのに


母はいつも前を歩いた。





母は父の分も背負っていたんだと思う。


立派な背中を見せてくれていた。





私には母に何か言う資格はなかった。


誰かがなんとかしてくれると思って生きていた私と、


母では土俵が違いすぎた。





とても遠くに母はいる。


いつもすごく遠くに。





けれど、今を生きる私には


母と同じ意志がある。





母は私の中にいるのだ。


一番遠く、一番近い。


私にとって家族とはそういうものだ。





もっと幸せな家庭はあるだろうと思う。


けど、確かにこれが私の家庭だ。





家族のことを考えると


悲しくなる日もある。


とても幸福に満ちた日もある。





良いか悪いかでは語れないけれど、


私を作ったのは確かで、


私が今も求めてやまないのは確かだ。














お母さん私、


最近よくお母さんに似ていると言われるよ。





不思議だね。





誕生日おめでとう。心から愛をこめて。

2011年3月1日火曜日

本心

本心を伝えるだけで

壊れてしまう関係もある



いつだって本心は少し後ろに置いておいた方がいい







分かってるつもり。

それでも淡い期待がまた私を子供にする。

分かってほしい。

受けいれてほしい。



私を見てほしい。







届けばいいのに。